製品開発エピソード1
らくらく面戸その1
「私と雀」
青春時代の心の痛手
縁側には古びた窓ガラスを通して、夏の朝の麗らかな陽光が差し込んでいる。窓の外から数間は広々とした庭がある。一番奥は土手となっていて、太陽のまぶしい光をいっぱいに浴びながら、紫の桔梗の花が咲き乱れている。土手の上には、トウモロコシがぎっしりと植えられ、青い空に伸びている。時折、数羽の雀がトウモロコシの畑に降り立ち、また飛び立っている。
縁側に腰を掛けようとしたとき、年の離れた従姉が奥の部屋から私を呼んだ。
「マーちゃん、ちょっと来てくんろ。」
この日私は、父の実家に遊びに来ていた。実家の祖父母は、すでに他界しており、叔父の家族が住んでいた。叔父と叔母、そして従姉の三人暮らしだ。
私は縁側を背にして襖を開いた。そこは板床の部屋で囲炉裏が真ん中に切ってある。囲炉裏部屋を通り板戸を開くと、次の畳部屋に従姉がいた。
「なーに、純子ちゃん。」
「あそこさ、見てくんろ。」
彼女は障子を開け、縁側に出た。
こちら側では、窓も雨戸も開け放たれて、日当たりのあまり良くない中庭が見える。庭の左手には大きな蔵がある。
彼女はその蔵の屋根を指さして言った。
「蔵の屋根に雀が巣を作っちまっただよ。
トーちゃんは足が悪いし、オラもカーちゃんも、あんな高けーところには登れねーしよ。マーちゃんは身が軽いから、雀の巣をとってくんねーか?」
中学2年生になっていた私だか、小さいころからこの家の中庭の柿の木に登るのが好きだった。断る理由はない。私は快く承諾した。
従姉はさっそく準備にかかった。まず、近所から長い梯子を借りてきた。そして軍手と草刈鎌を私に手渡した。
長い梯子を屋根に立てかけるのは、不慣れな私たちにとっては容易ではない。叔父にも手伝ってもらって、ようやく立てかけた。そして従姉は梯子を抑えている。私は気楽な気持ちで梯子を登り、軒瓦の下を覗き込んだ。
私は自分が予想していなかった状況に驚いた。瓦の下には多くの藁状の草がいっぱいになっている。しかも一個所ではなく、長く連なる土蔵の軒瓦のほぼ全てだ。
蔵の屋根には雨樋が無いので、鎌でこれらの草を掻き出すのはそれほど難しい作業ではない。まず、一つ目を掻き出した。と、その瞬間、私の心が凍り付いた。巣にはヒナがいたのだ。まだ目の開いていない、羽も生えていない、透き通るようにさえ見える体のヒナたちが数匹、巣と共に落下した。
多感な時期のこの頃の私は、昆虫さえも殺さないと決めていた。さらに、都会育ちの私にとって、生き物と接する機会はほとんどなく、生き物の死を目にすることも全くなかった。
ふと気が付くと、多くの雀たちが柿の木の枝や屋根の上に集まり、聞きなれない声で騒いでいる。
「おーい、どうしたー?」
どのくらいの間、私が身動きできなかったのか分からないが、従姉の声で私の思考は動き出した。
「人間が生活するのだから、当たり前のことだ」と心の中で自分を納得させた。
全ての巣を取り去った後、巣とヒナたちは叔父が集めた。彼がそれらを処分しようと決めていることは、雰囲気で分かった。そこで私はすぐに言った。
「おじさん、僕の友人で鳥をたくさん飼っているのがいるんだ。もしかすると、彼が育てたいというかもしれない!」
(ちなみに、現在では「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」によって、許可なく野生の鳥や獣を殺たり、飼育することは禁止されています。この法律は平成14年に改訂されたもので、この物語の時代では、雀を飼育しても法律違反にはなりません。)
私は早速、その友人に電話をすると、彼は大喜びで、子雀たちを受け取ってくれた。
それにしても、もし、私に鳥が好きな友人がいなかったら、あの子雀たちは間違いなく叔父に処分されていた。そして日本中では、どれほどこのようなことが起きているのだろうかと、思いをはせた。
「鳥が巣を作るのは自然なこと。ただ人間の住居などに作らなければ、無駄な殺生はしなくてすむのに。人間と自然の共存を身近なところから考えなくては。」
私の青春時代は、この言葉が頭の中で渦巻いていた。
22歳の時、らくらく軒面戸を考案し、日本ルーフ・フロアーが設立された。
今までよりも、さらに多くの住宅に面戸を普及したい。そのためにも、少しでも作業効率の良い面戸を提供し、職人の皆様に使っていただきたい。その思いは、今日まで続いている。
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